伝統の決戦の歴史
- 学校間の対校戦の中で日本一長い歴史を持つ開成レース(正式名称は開成高校対筑波大学附属高校定期競漕大会)。それにまつわる話やエピソードを紹介してみようと思います。
明治38年(1905年)の卒業生で、「祇園夜話」「雪の夜がたり」などの著者でもあり、神霊学の研究者としても知られる長田幹彦氏が附属ボート部であったころ、ボートは深川・清澄公園近くにつないであり、そのころボートの強かった開成、独逸協会、学習院とよく隅田川で競争をやったという。長田氏が3年のとき、新艇「鳴鳳」「飛竜」を購入、対校試合ではオールを折りノーゲームになったこともあったそうだ。
(桐陰会雑誌第119号(1950年(昭和25年))より抜粋、編集)
第1回(1920年=大正9年10月31日)
隅田川で行われる。艇はフィクス(附属の選手 舵手:岡田稲吉、舳手:村岸武男、2番:小泉雄次郎、3番:関正一、4番:山下浩三郎、5番:岸義一、整調:砂原富雄)。
「水上警備隊は厳重に河上を見張り選手係は選手の慰労に努む。」
「スタート、水門。ゴール、一高艇庫。開成白、附属紫。」
「両艇今や、スタートに立つ。号砲一発もろ共に、スタートを切る。スタート三本(五、七、五)出足悪し。続く我高の猛襲五本、ピッチ三十四も引きオールも揃ひ、出足もよく再び十本走して半艇身を出づ。紫のピッチ悪く、出足悪ろかりき。」
「要時、白3分17秒、紫3分22秒5分の4」
「本日のレース見事なりし。以後永久に続けむことに努む。」(当時の附属中学端艇部長倉林氏)
この後、第24回までフィックスを使用(第3回、第4回は四摺艇)。
大正12年
関東大震災で4年間の中断。
第4回 (1927年=昭和2年)
復活。
第9回 (1936年=昭和11年)
この歳まで開成8連勝。附属初勝利。「パーンとゴールの号砲が鳴る。最後の一本を引き切る。がくんと力が抜けた。視野の中に4艇身差ぐらいの開成艇のラストスパートが飛びこんできた。八連敗の後の勝利の実感はまだない。目の前のコックスの顔が汗で滲んで見える。惰性で走る愛艇「朱竜」が殆ど止まるまで誰も声を出さない。…5月9日開成レース勝利の瞬間である。」(附属OB田川治氏)
第17回 (1944年=昭和19年)
「食べ物が少ない中での練習は辛かった」(浅黄泰桐漕倶楽部前会長)
1945年 (昭和20年)
第二次世界大戦で中断
第18回 (1946年=昭和21年)
戦後初の公式ボートレースとして、新聞に取り上げられ、「新世界ニュース」というニュース映画で全国に上映される。
「当時は食料のなかった時代。練習そっちのけで流山(千葉)あたりまでボートを漕いで、農家に買出しに行ったものです。」(開成OB藤山康雄氏)
両艇とも舳先には部のアイドルに縫ってもらった小旗を掲げて戦い、勝ったほうが相手の小旗を引き抜くならわしが戦前から続いていた。
第23回 (1951年=昭和26年)
場所を隅田川から戸田に移す。
第25回( 1953年=昭和28年)
フィックスからナックルフォアへ使用艇の変更。
第44回(1972年=昭和47年)
この年から附属6連勝。
「開成は”よい子”ばかり増えすぎた」と開成OBから嘆きの節。
第47回 (1975年=昭和50年)
「交通ストライキと強風が重なった悪コンディション」(毎日新聞)
第49回 (1977年=昭和52年)
「学力と漕力は反比例するようで…」(毎日新聞)
※この年、開成高校が東大合格者数1位となり話題となる。一方附属の東大合格者数は11位と低迷。この年附属が6連勝を飾った。
「レガッタの成績はさておき、戸田コースの応援合戦となると、文句なく開成の勝ち。応援に駆けつける父母も、ほとんどが開成側。カメラ片手に約20人。そういえば入試の時も、魔法ビン片手のパパやママが多かったなあ」(毎日新聞)
第50回 (1978年=昭和53年)
ナックルフォアからシェルフォアへ使用艇の変更。附属連勝ストップ。
第60回 (1988年=昭和63年)
開成高校端艇部創立100周年、附属開校100周年で新聞各紙に大きく取り上げられた大会。「創部・開校100年…足りないものは、昔は”食料”、今は”部員”」(毎日新聞)
両校とも艇を新調。附属「蒼鱗」、開成「魁」
「じいさんが長生きできるよう、たまには負けてやらなきゃと思っただけだ。」(開成OB)という言葉から、OBがこの対校レースにかける気持ちが伝わってくる。
第72回 (2000年=平成12年)
「今世紀最後の決戦」(毎日新聞)
舵付きフォア(漕ぎ手4人、舵取り役1人)での最後のレース。附属は全国選抜5位のクルーで6連勝達成。
「勝負には勝ち負けしかない。その中で勝つことができたのは、「強さ」の証である」(附属OB)
新艇…附属「蒼鱗」(部歌の歌詞「雲霧を蹴立つる朱竜をば 追へる蒼鱗後や先」から)、開成「薫風」
第73回 (2001年=平成13年)
シェルフォアからクォドルプルへ使用艇の変更。附属連勝ストップ。
「選手にとってのボートレースの魅力は、勝っても負けてもゴールに入った瞬間に「ああ、これで終わった」という爽やかな開放感があることだ。それは競技に奇襲・奇策の要素が殆どなく、体力に勝りシッカリと練習を積んだほうが勝つ―いつも勝ち負けに納得がいく―というスポーツの原点のようなものを多く持っているからではないだろうか。その意味でボートレースはスタートがゴールであり、ゴールがスタートなのだ。」(加藤丈夫開成学園理事長)
第74回(2002年=平成14年)
再び附属の連勝が始まり、第81回(2009年=平成21年)まで続く。
第82回(2010年=平成22年)
開成勝利。附属の連勝が8でストップ。
第87回(2015年=平成27年)
附属が新艇「白鳳」を導入、勝利。
第90回(2018年=平成30年)
「90回目の因縁対決」(産経新聞)
前年までで附属44勝、開成45勝。レースは中盤から附属が徐々に開成を引き離し、最後は10秒という大差をつけて勝利。
「45勝同士となって、ライバル関係は今後も続いていく」(柳沢幸雄開成高校校長)